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竹林寺の歴史
竹林寺は神亀元年(724)、聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願(ちょくがん)を奉じた行基(ぎょうき)により唐の五台山になぞらえ開創されました。
竹林寺は、神亀元開創の縁起には、時の帝・聖武天皇が文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の霊場として名高い大唐の五台山に登り、かの地で親しく文殊菩薩から教えを授かるという夢をご覧になりました。そこで帝は、行基に日本国中よりかの大唐五台山に似た霊地を探し、伽藍(がらん)を建立するように命ぜられたのでした。
土佐のこの地が選ばれ、行基自ら謹刻した文殊菩薩像を本尊とし当山は開創されたと伝えられています。年(724)、聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願(ちょくがん)を奉じた行基(ぎょうき)により唐の五台山になぞらえ開創されました。時代は下り、大同年間(806~809)には弘法大師が四国回国の砌、当山に錫(しゃく)を留めて修行され、この由縁をもって、当山はのちに四国霊場第三十一番札所に定められるところとなりました。
その後、時代を経て江戸時代に至っては、土佐代々藩主の帰依を受け、藩主祈願寺として寺運は隆盛。堂塔は土佐随一の荘厳を誇り、学侶が雲集し、学山(がくざん)(学問寺)として当地における宗教・文化の中心的役割を担うに至りました。今日、土佐の民謡「よさこい節」で広く親しまれています純信(じゅんしん)・お馬の恋物語。その僧・純信も江戸時代末、当山の脇坊・南の坊に住む修行僧のひとりでした。
しかし、明治初頭の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の難は当山といえどもこれを避け難く、寺運は一時衰微しましたが、その後、かつての寺観を取り戻すべく伽藍の復興整備を進め、ようやく往古の輪奐(りんかん)に復するに至りました。今日、み仏を拝す人々の参詣の香煙は絶えることなく、また、緑豊かな寺域は四季の自然の折々を楽しむ人々の憩いの場としても広く親しまれています。